2012年4月21日土曜日

最期の手前で後悔するのか



War Grave - St Mildred's Church Nurstead, Kent

Original Updated By L2F1

去る4/18(木)に、専門学校時代の同窓生の墓参りに行ってきました。私は今31歳ですが、彼は24歳でその生涯を閉じています。

同じ同窓生2人と一緒に行き、いろいろと思うところがあったので、記しておこうと思います。

脇見しないで突き進んでいた

彼は、ストイックでした。学生の頃から夢に向かって真っすぐで、卒業後もその目標に向かって走り続けていたと聞いている。

同じクラスの女の子が彼に告白した時には、「今、もっとやりたいコトがあるから、彼女作るとか考えられない」というようなことを言って断ったそう。

当時、それほど付き合いがあったわけではないのですが、彼は校内でもひときわ目立っていたのは記憶している。

過去の気持との乖離

墓参りの後、3人でファミレスに入り、1時間半ほど過ごした。

1人は学生当時から続けているサークルを単独で継続し、今もなお作品を作っていた。
ノートPC上でちょっと見せてもらったが、懐かしさと一緒に素直に感動した。
かつてから10年経っているが、やりたいコトをなお続けてやっているというその事実に。

それは、私自身がかつてのやりたいコトをやっていないコト、また当時の気持ちを忘れていたという事実を再認識した結果でもあった。

現状はどうか

もちろん、気持ちを忘れていたこと自体や、今の生活がダメだというコトではない。夢や目標は都度見直されるべきで、人は変化するものだと思う。

ただ、今の仕事や生活を振り返ると、「面白くないコトやっているな」と思ってしまった。

仕事がつまらないとも思ってないし、プライベートがガタガタかというとそういうコトでもない。ただ、いつも追われている感はしているというのが実態なのかなと、我が身を振り返ってそう思える。

好きなコトを仕事にできればいいのかもしれないが、たとえ好きでないコトでも仕事をしなければ生活はできないし、それがつまらないとも思っていない。

追われている感とは、自らのコントロールが効いていない、もしくは効いている範囲が狭いというコトだと思う。

追われないために

追えばいい!

たぶんそういうコト。

生きている中で、できるコトは限られている。取捨選択が必要だが、今は追われてしまうことを多く選んでいるのだと思う。
もちろん生きていくために、やりたくないコトも選択しなければならないコトはある。

逆に「必須選択」を除けば、きっと自分で好きなコト選べるんじゃないかと。

あくまで概念的で、抽象的だが、そういうコトができないものかと、帰り道で思った。

まとめ

何が必須で、そうでないのか。何がやりたくて、やりたくないのか。その整理はまだついていません。
ただ、おそらく、そういったコトをできるだけ意識するコトで、自分をコントロールするコトにつながるのではないかと思うのです。

彼は、おそらく自分のやりたいコトをしっかり見据えるコトができており、ひたすらそれを追いかけていられたのだと思います。

もし、明日にでも自分の生命が絶たれるとしたら、はたして今の私は後悔なく旅立てるのだろうか。残念ながら今は、とてもそうは思えません。

これからどういう風に人生を歩んでいきたいのか、深く考える機会となりました。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




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