Original Updated by NASA Goddard Photo and Video
みなさま、お元気ですか。あべ(@brAin_1980)です。
今回はまじめに考える。テーマは被災地との関わり方。
8月には全国的に豪雨による被害があったり、9月の防災の日があったり、NHK朝ドラのあまちゃんでも9月に入って震災による被害のシーンを描いていたり。
高校卒業まで宮城県は七ヶ浜町に住んでいた私は、また改めて東日本大震災についていろいろと思いを巡らせることになった。
実はFacebookには、通勤電車でつらつらと考えを書いたのだが、今一度整理しておきたいと思って、今回のエントリとなっている。
自問自答ループ
震災当時もそうだったが、首都圏に住んでいる私に何ができるのだろうと自問自答の繰り返し。考えるだけで体調を崩したこともあった。そして今、未だ傷が癒えきらない(とネットなどで聞いている)現状においても、まだ何かできることはあるのだろうか。
オリンピック招致に賛否両論
震災に再び気持ちを寄せることになった一番のキッカケ。日本中が沸きに沸いている招致成功。復興五輪をうたっていたりもする。
しかし、気仙沼でのインタビューとかでは「その恩恵がここにも来るかは分からない」などと不安をのぞかせるものもあった。
私個人としては賛成なのだが、いろいろな意見を見聞きすると、一概に「良かった!」とはならないようにも思えてきた。
特に、福島の原発汚染水問題への安倍首相の言及は、やはり腹落ちしない部分がたくさんあるし、インターネットを見ているだけでも相当の疑念が湧いてくる。
ポジティブに考えたい
ネガティブループにハマると結構抜け出すのに時間がかかることを自覚している私は、なるべくポジティブに考えたいと思っている。「東北の人は喜ばない」というよりは「ならどうやれば東北の人が喜ぶか考えよう」のほうが好きだし、「被災地にお金が回るわけじゃない」というより「ならこれから被災地にお金が回るような仕組みにしていこう」のほうが好きです。7年後まで選挙もあるし準備もこれからだから、私達次第なんですよね。
— たられば (@tarareba722) September 8, 2013
この考えに同意したい。
今からの取り組みや工夫で何とでもなるのではないか、と。
和を以て貴しとなす
日本人の人間的に美しい部分を端的に示していると思う。決してこの言葉は「事なかれ主義」を表しているものではない。
『和を以て貴しとなす』 辞書の意味はこうだ。
何事をやるにも、みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良いということ。やるな、聖徳太子。
当時直接被災した方とそうでない方、今もそのエリアに住んでいる方とそうでない方、きっとその間には大きな壁があって、壁があるからマスメディアがそれぞれの向こう側を伝える役割があるんだけど、どうやらそれには偏りがあって、それに怒りやもどかしさを感じる人がたくさんいるんだと思う。
直近ではオリンピック招致が話題だけど、「東北以外の方が全員喜んでいる」わけでもなく、「東北の方が全員反対している」わけでもないのが事実のはずで、そこには十人十色、多種多様な考えがあって当然なのだろう。
しかしそれら全てを報道することはできないし、日本人全員もしくは世界中の人全員が理解することは不可能なわけだ。
そういった中で、「じゃあ、どうする?」と考えるときに、やっぱり壁はジャマ。
ない方がいいに決まっている。
じゃあ、壁を取り払うには?
それって、結局一人ひとりの心持ちなんじゃ無いか、と。
それって、日本人の得意分野じゃないか、と。
おわりに
結局あまり整理できていない気もする。こういったものに結論はないし、その場その場で考えも変わる。
明日から、宮城旅行をすることにした。
半分は埼玉育ちの妻を連れて、私が育った場所をみせたいというもの。
半分は育った街の現状をちゃんと見てこようというもの。
ちょうど今年のはじめに「今年はハマに行く」と決めていたので、それを実行する。
震災後初めて、ハマに行く。
今は岩手に住んでいる母親にそれを伝えたら、「何度か行ける状況はあったが勇気が出なかった。見てしまったら過去の思い出がどう変わってしまうのかと想像したくなかった」と。
私も何かが壊れるのかもしれない。それは分からない。
週明けには考えが180度変わるかもしれない。
それはそれで、その時の考えや想いを大切にしていきたいと思う。
そのためにも、出発前にこのエントリは残しておきたかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。