Original Updated by seniwati
GW前に買った為末大さんの【諦める力】という本を、読了しました。
この本は、アスリートはもとより今の社会人もそうですし、子を持つ親に読んで欲しいと思った本でした。
何を諦めて何を諦めないかを選ぶ
ほしいもの・こと全部を手に入れるというコトはあり得ません。
つまりは、必然的に何かを諦めるというコトになります。
諦めるときの基準は人それぞれですが、為末さんは『勝負すること』を大事にして、競技種目の100M走を諦め、400Mハードルを選択したそうです。
100Mではとても戦えないという判断をし、また400Mハードルなら戦える、勝負出来ると判断したわけです。
『諦』という漢和辞典には、『さとり』という意味もあるそうです。
ここからイメージを浮かべると、諦める意味には以下の内容も想像出来るとのことです。
「自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにして良く理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟る」
諦めるということはそこで「終わる」とは「逃げる」ということではない。
私の判断基準は……なんだろう。
今、目の前にやりたいコトがたくさんあります。そしてどれかを選んでいるワケでは無く、いずれも中途半端な状態です。
為末さんでいう『勝負すること』のような優先順位の高い基準が、諦め項目選択には必須であります。
人生は有限
前項にも関連しますが、とにかく時間は限られているのです。
全部は出来ないのです。
100M走を諦めたあとではあるが、カールルイスを見た時に、為末さんは『自分の延長線上にルイスがいる気が全くしない』と感想を持ったそうです。
世の中には、自分の努力次第で手の届く範囲がある。その一方で、どんなに努力しても及ばない、手の届かない範囲がある。努力することで進める方向というのは、自分の能力に見合った方向なのだ。
これを意識する必要がある。
なかなか日本人はこれが出来ないのだと思う。
本文中にもあるが、『努力すれば叶う』とか、『できないのは努力が足りないせいだ』とかいうのは、日本によくある台詞で、それによって有限な時間を無駄に使って出来ないコトをやり続けたりしてしまうワケだ。
これは冷静に考えると、人生の使い方としてとてももったいない。
他人に影響されすぎない
“If you can’t measure it, you can’t manage it.”
「測定出来ないものは管理できない。」
スポーツ政策学会にてベルギーからの出席者の資料に書かれていたフレーズとのこと。
スポーツ界においても、何で成果を測るのかというコトに対して、例えば『メダル数』で測るのと、『メダリストの数』で測るのと、『金メダルの数』で測るのでは、戦略が変わってくるそうです。
何においても『成功』とは何か。
この測る基準を明確にする必要があります。
そして、その基準を他者に委ねることは、最終的に幸福感を得にくい。
日本人は、金メダルやノーベル賞といった既存のランキングを非常に好む。これは他者評価を重んじる、日本人の気質をよく表していると思う。それはそれで目指してもいいとは思うけれど、多くの日本人は、あまりにも人から選ばれようとしすぎてはいないか。人に受け入れてほしいと思いすぎてはいないか。
就職活動で『いい会社から内定をもらえないからダメ』みたいな。
このときの『いい会社』を選んだのが自分であればいいのですが、就活サイトとか大多数のアンケート結果とかであると、結局何をしたら良くてダメなのかが分からなくなってしまうのです。
まとめ
本文中にもありましたが、この考え方は現在の日本には受け容れにくい物です。
しかしながら、その『日本流』に合わせすぎると、どこかで自分を犠牲にすることになるというコトになります。
私はそうはなりたくないと、率直にそう思いました。
仕事にしてもプライベートにしても、自分の判断軸をよくよく考えてみたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。