五常とは、仁・義・礼・知・信で表される、5つの徳の項目です。
五常(ごじょう)または五徳(ごとく)は、儒教で説く5つの徳目。仁・義・礼・智・信を指す。三綱(君臣・父子・夫婦間の道徳)とあわせ、「三綱五常」と表現することも多い。
via 五常 - Wikipedia
これを、意識して、日々生活を送るのが良いのではないか、と考えました。
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五常とは(詳細)
こちらもWikipediaから引用します。
仁
人を思いやること。孔子は、仁をもって最高の道徳であるとしており、日常生活から遠いものではないが、一方では容易に到達できぬものとした。
『論語』では、さまざまな説明がなされている。ある場合は「人を愛すること」と説明し、顔回の質問に対しては、「克己復礼」すなわち「己に克ちて礼を復むを仁と為す(私心を克服して礼を重んじること。それが仁である)と答えている。
前者は外部に対する行為を指し、後者すなわち顔回に対する答えは自身の内なる修養のあり方を指している。具体的な心構えとしては、「己れの欲せざるところ、これを人に施すなかれ」(『論語』顔淵篇、黄金律)がよく知られている。すなわち、「仁」とは、思いやりの心で万人を愛し、利己的な欲望を抑えて礼儀をとりおこなうことである。義
利欲にとらわれず、なすべきことをすること。正義。中国思想においては、常に「利」と対比される概念である。
礼
「仁」を具体的な行動として表したもの。もともとは宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味していた。のちに上下関係で守るべきことを意味するようになった。儒者のなかでも、性悪説の立場に立った荀子は特に「礼」を重視した。
智
道理をよく知り得ている人。知識豊富な人。
信
友情に厚く、言明をたがえないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。孟子の四端説における「仁義礼智」の四徳に対し、前漢の董仲舒は五行説にもとづいて「信」を加えた。via 五常 - Wikipedia
これを疑問形にして問いかける
「人は、問いを投げかけられると、答えを探そうとする」性質があります。
たとえば、この仁義礼智信について、考えてみよう!と思うのだけだと、あまり深掘りしないんですよね。
なので、私なりに、短めに、一日を振り返るための問いに変換してみました。
問い
仁: 人を思いやれたか
義: 利欲にとらわれず、なすべきことをしたか
礼: 上下関係で守るべきことを守ったか
智: 道理をよく知り得たか
信: 約束を守ったか、誠実であったか
この5つを、寝る前に考えます。
日記が続く人には日記をオススメ
実は、はじめは上の5項目で日記を書こうと思っていました。
しかし、私は日記を続けられない自信があります(笑)
かつても4行日記というのをやっていた時期(2011年秋頃)がありましたが、63日で終わっていました(^▽^;)
↓4行日記とはこれに詳しく書いてあります。
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なので、今回はハードルを下げて、まずは頭の中で振り返ることにしました。
道徳心
以下の記事を書いてから、『心を磨くことの重要性』を感じています。
先日『現代語訳 論語と算盤』を読んでからというもの、『人間を磨く』ことに興味を持った私。 今回は、禅語について書かれた本を読んでみました。
あらゆる人間活動は、当然人間によって行われているもので、その活動をアップグレードするには、人間自体を磨かなければならないと考えます。
これは何に対しても、当てはまるものだと思います。
たとえば、営利だけを目的として、その道の技術を磨いて、商売をやっても、いずれ倒れるときが来るのです。
既に3日くらいやってみている
今のところ、3日くらいやってみて、思ったコトがあります。
「あぁ、できてなかったかな」
「あのとき、こうすれば良かったかな」
など、反省点が出てきます。
こうなると、今度は振り返りの時間だけでなく、昼間の生活の中で意識しはじめました。
特に、何か判断をしなければならないとき、または選択を迫られたときです。
「これは、五常に背いていないだろうか」
これってPDCAサイクルになってきたってコトだと思います。いいコトだ(*゜▽゜*)
おわりに
そういえば、これも、人間を磨くのに、いい本でした。
私自身は前述の通り、いわばテクニカルなコトを身に付けるのばかりに興味がいっていたところがあると気付きました。 土台、人間ができていなければ、どうせうまくいかない。うまくいくものもうまくいかない。 『論語』に興味が出てきました。
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人間、土台が大事!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。